断片的な記憶と映画は似ている


河内さん、いや河内Mgr.から
「最後のブログ書いてください」と言われたのですが、
何を書いたらいいのかわからないので、ななちゃんの話をします。

小さいころ、わたしは同じマンションに住んでいたななちゃんと仲が良くて、
幼なじみというのは、いつから友達なんだか分からないうちに友達になってるものだけど、
ななちゃんとわたしはそんなかんじでした。
「幼なじみ」とか「友達」という言葉を知るよりも前に友達でした。

ななちゃんはわたしより一個年上で、合気道を習ってて、
だから、何かものひとつ取り合うのでも、ななちゃんはすごく強くて、
なんかよくわかんない方法で腕をふりはらうから絶対勝てなかった。

人生ゲームも、桃太郎電鉄も、マリオカートも、百人一首も、ビンゴも、シルバニアファミリーも、ダイアモンドゲームも、ぷよぷよも、全部ななちゃんの家でやった。
百人一首は、ハゲのやつが出てくるとみんなで笑うのが楽しかった。

ななちゃんの家のソファーもテーブルも、部屋の間取りも、カーペットのかんじも、
不思議と自分の家よりも鮮明に覚えてる。
家に遊びに行くと、よく、ななちゃんのお母さんがガムテープでカーペットの埃をとっていたことすら覚えている。

この間、たまたまバスの中でななちゃんのお母さんに会ったけど、
最初誰だかわからなくて、自分の記憶がまったく変わってしまってることにびっくりした。

小学生のときにわたしがマンションから引っ越してからもよく遊んでいたけれど、
中学生になると、なかなか会わなくなって、手紙交換していた。
いつだったか、手紙交換のなかで、「複数の男子から告白されて困っている」ということを相談されたとき、
なんとなく世界が変わっていくのを感じたのを覚えている。
高校のときに偶然家の前で会ったときも、ななちゃんはいろんなこと話そうとしてくれたけど、
わたしは早く家に帰りたかったから、
「じゃあまたね」と何度も言った。

それからなんとなく年賀状も交換してたけど、
今では年賀状すら送らなくなって、
ななちゃんは今、近所のローソンで働いている。

この話が何を示してるのかというと、
ポイントはいくつかあるけど、
そんなこと話してもつまらない話にしかならないかも。
そしたら、なんでこんな話する必要あるのかわからないけど、
なんとなく話したかったので話しました。

コンパクトにパッケージ化される自分の人生のことを考えるとき、
ボランティアの時にもらえる幕の内弁当みたいなのを想像してしまいます。
ほんとにつまらない人生。



さいごにおすすめの映画紹介します。



「卒業」という1967年の映画は、Simon & Garfunkelの曲と
結婚式で花嫁を奪うシーンがあまりにも有名な、わたしが紹介するまでもない名作なのですが、
高校の卒業式の前の日だかに、みんなが帰ったあと、学校でこっそり先生と観ようとしたことがあります。
でもスピーカーがぶっ壊れててセリフの聴こえが気持ち悪かったから、やめて、
オープニングのとこだけしか見れなかったのですが(映画自体はそのあとちゃんと見ました)
そのときの映画が、オープニングだけの映画が、「映画」として頭のなかにしっかりと焼き付いています。

だからかわからないけど、「卒業」は今でも特別好きな映画のひとつです。
この映画の何がいいって、ラストのバスの中の二人の表情です。
それに気付く自分に悲しくなる映画でもあります。
観たことない人はぜひ観てみてください。
「映画」とは、ただの「憧れ」だったのかもしれません。



終わります。橋本でした。

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