『わたしはちょうちんあんこうよ』

こんばんは、正夢を見た川上です。
さて、今回でわたしのブログの更新は最後となります。
どうか最後まで、、よろしくお願いします。


気付けばもう21年、まだ21年かもしれませんが生きてきました。
色々なことがありました。ただ思い出せないこと、完全に忘れてしまったものもたくさんあります。

その中で忘れもしないピカピカの小学1年生の思い出について書きます。


『わたしはちょうちんあんこうよ』
こんな台詞がありました。学芸会の『スイミー』という演目でした。
様々な魚たちが出てくるやつです、小さい魚同士みんなで力を合わせて頑張ろうみたいな演劇だったように思います。

台詞の通りわたしは、「ちょうちんあんこう」でした。
みなさん、ご存知でしょうか?

こいつです。



















なんてグロテスクなんでしょうか。
主役のスイミーだとか女の子だったらクラゲの姫?でふわふわした衣装とか着たいですよね。
しかし、わたしはちょうちんあんこうです。

今思うと、とても悪意を感じてしまいます。ピカピカの一年生、はじめての学芸会でちょうちんあんこうとなった娘を見る母の顔を想像しました。複雑だったでしょうね。

しかし、もう一人ちょうちんあんこう役がいました。その名はファイト君です。
丹精こめて作った金ピカの提灯を頭にぶら下げて二人仲良く
『わたしはちょうちんあんこうよ』と叫ぶのでした。

しかし、たくさんいる魚たちの中でハズレとも言われそうなちょうちんあんこうだったんだろうか?

思い返すとこの21年間はちょうちんあんこう的な人生でした。
それはマイナスな意味でもなくて、なんとも言葉では表現し難いです。
わたしもよくわかってないけれど、「ちょうちんあんこう的生活」と名付けます。
とてもダサいですね。
当時はあんなに嫌だった役を当たり前だけど今ではこうやって笑い話にできます。
泣く程嫌だったこととか恥ずかしくて死にたくなるようなことも今では笑い話なんです。
そうやって笑ってくれた人がいたから数々の恥やら何やらを克服してきました。

思い出したくないようなことも笑い話になるなら儲けもんです。
これからも勝手に忘れていくこと、忘れたくないこと、忘れられないことがあるかと思います。勝手に振るいにかけて記憶を選別して良いことも悪いことも思いだしては懐かしんでを繰り返していくのかなと思います。

少なくともわたしがちょうちんあんこうだったあの頃を何度も思いだすでしょう。

ただただちょうちんあんこうだっただけでたらたらとブログを書いてしまいました。
こんなにちょうちんあんこうという言葉を乱用したやつはいないでしょう。
ちょうちんあんこうに罪はないのです。


ダサい「ちょうちんあんこう的生活」これからも続けていきます。
意味はこれからちゃんと考えてあげたいです。(流行るといいな、、)


最後まで読んで下さりありがとうございました!










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