新年度みるめがスタートしました


みなさんどうもおはようございます。
新年度部長になりました牛久保です。

早いものでもう4月になって一年の4分の1が過ぎました。
一つ学年が上がって
新3年生は僕と藤野さんと大野さん
新2年生は柳田君、古内君、上地さん、上森君、森君。
今年はこの8人でみるめがスタートします。
上映会などの企画も継続していくのでどうぞよろしくお願いします。


話しは変わって最近ハマっている本があるので紹介します、

浅田次郎「壬生義士伝」
傑作でした。
幕末の頃のお話しです。主人公は南部藩、今の岩手県から脱藩して新撰組に入った吉村貫一郎という人です。
この人は剣も使えるし勉強も出来る、そしておしとやかな人柄でした。
けどもこの時代には生まれもった身分で給料も決まるし出世も望めません
地元では奥さんにも子供にも満足に食べさせてあげられず脱藩して新撰組に入ります

新撰組という組織では侍らしくする事が鉄の掟でした、
臆したら切腹、逃げたら切腹。
実際に殉死より切腹のほうが多いという事ですからどんな状況だったか察するに難しくありません

当時はそれが当たり前の大衆の中で、吉村はお金のために働きます、働いて仕送りするのです
新撰組で働くという事は人を殺すという事です。
当然身内の介錯も進んでやります

しかし新撰組を抱える会津藩もとい江戸幕府の旗色は一気に悪くなっていきます。
武士道精神、城を墓とする周囲のなかで吉村のとった行動は・・・

これくらいにしときましょうか、続きは読んで下さい。
言ってくれれば貸し出しします。

牛久保でした

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2013年度の最初

ご無沙汰しております。

今日の寒さにビックリしてます。フジノです。

桜がもうそろそろ散っていきますね。


そんななか、みるめも2013年度になり3年生が卒業して部長が牛久保君に変わりました!



そして、新年度の最初にみんなで企画・撮影をしました。


これは、みんなで撮影をすることや編集の可能性を体験しようという企画です。


同じ素材をそれぞれがどの様に編集して作品に仕上げていくのかをお互いに見れる機会でもあり、機材にも触れてみてどういう撮影にどういう機材を持っていくのかなどを勉強する機会にもなりました。


今回は卒業生の方々にも協力・出演していただいて無事、撮影を終えることが出来ました。

今回、編集して仕上げたものはYoutubeにアップしていく予定ですので、お時間があればそちらでご覧ください。ご意見、ご感想などもありましたらコメント欄やこちらのブログにコメント頂けたら幸いです。


フジノでした。


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『わたしはちょうちんあんこうよ』

こんばんは、正夢を見た川上です。
さて、今回でわたしのブログの更新は最後となります。
どうか最後まで、、よろしくお願いします。


気付けばもう21年、まだ21年かもしれませんが生きてきました。
色々なことがありました。ただ思い出せないこと、完全に忘れてしまったものもたくさんあります。

その中で忘れもしないピカピカの小学1年生の思い出について書きます。


『わたしはちょうちんあんこうよ』
こんな台詞がありました。学芸会の『スイミー』という演目でした。
様々な魚たちが出てくるやつです、小さい魚同士みんなで力を合わせて頑張ろうみたいな演劇だったように思います。

台詞の通りわたしは、「ちょうちんあんこう」でした。
みなさん、ご存知でしょうか?

こいつです。



















なんてグロテスクなんでしょうか。
主役のスイミーだとか女の子だったらクラゲの姫?でふわふわした衣装とか着たいですよね。
しかし、わたしはちょうちんあんこうです。

今思うと、とても悪意を感じてしまいます。ピカピカの一年生、はじめての学芸会でちょうちんあんこうとなった娘を見る母の顔を想像しました。複雑だったでしょうね。

しかし、もう一人ちょうちんあんこう役がいました。その名はファイト君です。
丹精こめて作った金ピカの提灯を頭にぶら下げて二人仲良く
『わたしはちょうちんあんこうよ』と叫ぶのでした。

しかし、たくさんいる魚たちの中でハズレとも言われそうなちょうちんあんこうだったんだろうか?

思い返すとこの21年間はちょうちんあんこう的な人生でした。
それはマイナスな意味でもなくて、なんとも言葉では表現し難いです。
わたしもよくわかってないけれど、「ちょうちんあんこう的生活」と名付けます。
とてもダサいですね。
当時はあんなに嫌だった役を当たり前だけど今ではこうやって笑い話にできます。
泣く程嫌だったこととか恥ずかしくて死にたくなるようなことも今では笑い話なんです。
そうやって笑ってくれた人がいたから数々の恥やら何やらを克服してきました。

思い出したくないようなことも笑い話になるなら儲けもんです。
これからも勝手に忘れていくこと、忘れたくないこと、忘れられないことがあるかと思います。勝手に振るいにかけて記憶を選別して良いことも悪いことも思いだしては懐かしんでを繰り返していくのかなと思います。

少なくともわたしがちょうちんあんこうだったあの頃を何度も思いだすでしょう。

ただただちょうちんあんこうだっただけでたらたらとブログを書いてしまいました。
こんなにちょうちんあんこうという言葉を乱用したやつはいないでしょう。
ちょうちんあんこうに罪はないのです。


ダサい「ちょうちんあんこう的生活」これからも続けていきます。
意味はこれからちゃんと考えてあげたいです。(流行るといいな、、)


最後まで読んで下さりありがとうございました!










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断片的な記憶と映画は似ている


河内さん、いや河内Mgr.から
「最後のブログ書いてください」と言われたのですが、
何を書いたらいいのかわからないので、ななちゃんの話をします。

小さいころ、わたしは同じマンションに住んでいたななちゃんと仲が良くて、
幼なじみというのは、いつから友達なんだか分からないうちに友達になってるものだけど、
ななちゃんとわたしはそんなかんじでした。
「幼なじみ」とか「友達」という言葉を知るよりも前に友達でした。

ななちゃんはわたしより一個年上で、合気道を習ってて、
だから、何かものひとつ取り合うのでも、ななちゃんはすごく強くて、
なんかよくわかんない方法で腕をふりはらうから絶対勝てなかった。

人生ゲームも、桃太郎電鉄も、マリオカートも、百人一首も、ビンゴも、シルバニアファミリーも、ダイアモンドゲームも、ぷよぷよも、全部ななちゃんの家でやった。
百人一首は、ハゲのやつが出てくるとみんなで笑うのが楽しかった。

ななちゃんの家のソファーもテーブルも、部屋の間取りも、カーペットのかんじも、
不思議と自分の家よりも鮮明に覚えてる。
家に遊びに行くと、よく、ななちゃんのお母さんがガムテープでカーペットの埃をとっていたことすら覚えている。

この間、たまたまバスの中でななちゃんのお母さんに会ったけど、
最初誰だかわからなくて、自分の記憶がまったく変わってしまってることにびっくりした。

小学生のときにわたしがマンションから引っ越してからもよく遊んでいたけれど、
中学生になると、なかなか会わなくなって、手紙交換していた。
いつだったか、手紙交換のなかで、「複数の男子から告白されて困っている」ということを相談されたとき、
なんとなく世界が変わっていくのを感じたのを覚えている。
高校のときに偶然家の前で会ったときも、ななちゃんはいろんなこと話そうとしてくれたけど、
わたしは早く家に帰りたかったから、
「じゃあまたね」と何度も言った。

それからなんとなく年賀状も交換してたけど、
今では年賀状すら送らなくなって、
ななちゃんは今、近所のローソンで働いている。

この話が何を示してるのかというと、
ポイントはいくつかあるけど、
そんなこと話してもつまらない話にしかならないかも。
そしたら、なんでこんな話する必要あるのかわからないけど、
なんとなく話したかったので話しました。

コンパクトにパッケージ化される自分の人生のことを考えるとき、
ボランティアの時にもらえる幕の内弁当みたいなのを想像してしまいます。
ほんとにつまらない人生。



さいごにおすすめの映画紹介します。



「卒業」という1967年の映画は、Simon & Garfunkelの曲と
結婚式で花嫁を奪うシーンがあまりにも有名な、わたしが紹介するまでもない名作なのですが、
高校の卒業式の前の日だかに、みんなが帰ったあと、学校でこっそり先生と観ようとしたことがあります。
でもスピーカーがぶっ壊れててセリフの聴こえが気持ち悪かったから、やめて、
オープニングのとこだけしか見れなかったのですが(映画自体はそのあとちゃんと見ました)
そのときの映画が、オープニングだけの映画が、「映画」として頭のなかにしっかりと焼き付いています。

だからかわからないけど、「卒業」は今でも特別好きな映画のひとつです。
この映画の何がいいって、ラストのバスの中の二人の表情です。
それに気付く自分に悲しくなる映画でもあります。
観たことない人はぜひ観てみてください。
「映画」とは、ただの「憧れ」だったのかもしれません。



終わります。橋本でした。

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3月9日

をもって今年度の3年のみるめはひとまず終了となります。

これで僕がブログを書くのは最後になります。
みなさんありがとうございました。
しかし、まだまだみるめ自体は終わりません、これから新3年生がやっていくことになります。
僕は3月の中ばからお仕事をします。

っていうか来月からほとんどの人が社会人です。


みるめっていうばしょから離れる時はとうとう学生生活が終わるんだなっていう気がします。

今まで染みついてきたものをやめるなんてまだまだ想像がつきません。
認めてもらえる、お互いを認めあえる場所がありました。そこに!!!
河内さんと金子さんのおかげです。センクス!!!!

部長としてなにもできなかったけど(だめだろ!)
楽しかったなぁ(たのしかったなぁ)
みるめを一言で表すと「行ってみれば楽しい場所」でした。(河内さんのおかげ〒)

部長になってこの場所を作るには本当に大変ってことを思い知らされました


でも色々笑ったなぁと本当に思うのです。
兄弟みたいな後輩を持てたこともとても嬉しく思いますし、本当に思い出がありすぎてなにを喋っていいやら、わからないのです笑


あさび、みるめの2年間は本当に勉強になりました。

でも、これからは社会人として社会勉強も学びつつ映画を撮りたいです。
映画を作るためにお金を稼ぎます、全てはつながっているのです。


そういえば昨日清水がスーパーに一緒についてきてくれました、きっと120歳まで生きるであろうシミズともお別れ、ちびびやメロンパン太郎、里芋さんやCaともお別れ、、みんなクソな部分もあったけどほんとに人の気持ちが理解出来る良い奴でした。


2年間本当にありがとうございました!!
バカで冴えなくてそんでもってピュアでかわいく豆苗好きのこんな自分を受け入れてくれた場所に感謝します。


ありがとうございました!!!!!!!!!!


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阿佐ヶ谷美術専門学校 卒展2013



こんばんは。甘いものの食べすぎで太るし、虫歯になったオオノです。

今日から阿佐ヶ谷美術専門学校の卒展が始まりました。昨日、その準備を手伝いに行きました。トラックから次々と降ろされる作品たち。それを学科問わずみんなで運び、せっせと組み立てていきました。あの人も、この人も、自分の作品を多くの人に見てもらうため、真剣でした。そして、あの人も、この人も、卒業していきます。みるめからは伊藤さん、川上さん、橋本さん、渡さん、中澤さん、清水さんが卒業です。卒業、卒業...ふぅ〜ん。って感じです。なんせ、実感が湧いていないもので。3年生本人はどうなのか分かりませんが...。きっと居なくなってしまってからぽっかり空いた部分が気になって仕方なくなって、寂しくなるのだと思います。自分は2年生なので来年卒業です。自分の卒業なんて尚更実感も想像もできないので、残りの一年あっという間だぞ!と脅されてもしっくりきません。いつもその場にならないとしっくりきません。ましてやその場になって、その場が過ぎてもしっくりきません。そんなものでしょうか?3年生の皆さんもそうなのでしょうか?
と、文にしてみたら“卒業”が身近に感じられた気がします。(やっぱり寂しいです。)卒展の作品たちは3年生の集大成な訳です。とても刺激的で素敵なものばかりですので、是非足を運んでみてください。

では、おやすみなさい〜!!!!!!

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こんばんは。


▼上地です。今日も寒いですね。2月もそろそろ終わりが近づいているというのに春が近づいてくる気配はありません。とても困っています!

▼実はお話のネタを今日作るつもりで外に出たのですが特に何にもせずに帰ってきてしまいました。あれー。本当に外が寒いなという記憶しかないです。

▼というわけでここは好きな映像などを紹介してみようと思います。


シンプルなのに見飽きない緑色で目にも優しい映像です。曲も心地よいテクノです。ちょっと眠くなります。
もう皆さんお布団に入る頃だと思いますので、寝る前にいかがですか!

ではおやすみなさい。


▼追記:先週のMFF2013にご来場くださった方々、どうもありがとうございました。今後のみるめの活躍にご期待ください!

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