舌を噛み切る兎

遅蒔きながら「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督のデビュー作である「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観た。
才能のある人は始めからあるもんだなぁと感じた。
個人的には「桐島、~」がなければ進んでは観なかった作品です。
なんというかタイトル的に手が伸びないと言うかなんというか。


中身はどうだったかと言うと、「桐島、~」同様原作のある映画ですがやはり間違い無く吉田大八監督の映画でした。
類似点も多く、例えば鬱屈した現実(及び居住空間)で繰り広げられる日常、「桐島、~」では学校、「腑抜けども、」では田舎。
それから鬱屈した現実で虐げられる存在は創作活動(フィクション)の中でしこしこと仕返しをしている。
そしてクライマックスに向けて高まる緊張感の中ついにフィクションが現実を支配する!というカタルシスの置き所など、語り出したらきりがないくらいのレベルで正に吉田大八映画。


ストーリーはというと
両親の訃報を受け、女優を目指して上京していた澄伽(佐藤江梨子)が4年ぶりに舞い戻ってくる。自意識過剰な彼女は、自分が女優として認められないのは家族、とりわけ妹の清深(佐津川愛美)のせいだと家族をいたぶる。兄の宍道(永瀬正敏)も澄伽には気を遣い、横柄にふるまう彼女によって一家の日常はきしみだしてゆく。


ぎすぎすした家族のやりとりを延々見せられて嫌な気持ちが最高潮に達した時、それまでの全てが一気にフィクションに昇華されるクライマックスはもう泣くしかないんだよ。
「ああ、だからぬいぐるみを隠したんだ…」「ああ、だから手紙が赤かったんだ…」心情的にも演出的にもとにかく良かった。
物作りをする人ならきっと分かると思う。
親の死さえも…というね。
とりあえず腑抜けどもが最後の最後に見せる悲しみの愛に泣け!
扇風機が回ってることに泣け!


言い訳ばかりして、成功だけを夢見て、自分には才能があると思い込んで、うまくいかないと周りのせいにばかりして、、、
そんな自分が重なって嫌になるとってもいい映画でした。


サトエリの「あの、私意地悪されてます?」とかは超笑った。
確かに端から見てるととても滑稽だし痛いんだけど段々幸せそうに見えてくるんだよな。
生きてく上で気付くということは幸せなことなんだけど同時に不幸でもあると思う。
その点澄伽は最後の最後まで気付かない。
ただただ才能はあるのに世の中の無知な大人達に邪魔されて伸び悩んでいる自分、という虚像を愛しているだけなんだから。
そりゃあ幸せだよね。
おみくじで大吉が出ても「いいことは長くは続かない、いずれ悪いことが起こるかも…」って思わない人の方が幸せだもんね。
そうはなりたくないけど。
はっきり言って「桐島、~」が映画とかやろうと思ってる人間にとっての励ましになるとしたら(正確には微妙だけど)「腑抜けども、~」は俺みたいな人間にはキツいお灸になる映画だった。

そんな素晴らしい映画には遠く及ばない俺の映画「舌を噛み切る兎」是非観てね。
実は講評会でボロクソに言われたんですよね。
どれくらいかと言えば柳田くんが羨ましがるくらい。
そんな俺の唯一の後悔は「なぜ、あそこでカメラを回しておかなかったのか?」ということ。
ボロクソに言われることは予想出来ていたのだからカメラを回しとくべきだった!
あの場所とキャストを揃えて先生達に演技させる手間を考えたら気が遠くなる…
俺はあそこでカメラを回して先生や世界に仕返しすべきだった。
そのチャンスを一度はみすみす逃してしまった。
深く反省したい。


そして来年の講評会では末岡先生を俺の映画で吐かせる。
末岡先生の朝ご飯を全部!
講評会のあと末岡先生と飲んだ時に約束した。
果たそうじゃないか。
以上。

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